当院のホームページに訪問してくださりありがとうございます。
当院は施術も受付けもすべて私一人で行っています。
施術者がどんな人間かというのはあなたも気になると思います。
そこでこのページでは、私のプロフィールを紹介いたします。
幼少時代
あまり記憶にはないんですが、どこへでも一人で行ってしまう子供だったそうです。
3歳の時に東京の広尾というところに住んでて、行方不明になったそうです。
そして約4km離れた、祖父が住んでた原宿まで一人で歩いて行って無事に保護されたと未だに言われます。
また小学校低学年の頃は、よく入院をしていました。
特に小学校2年生の時は、1年間に6回も入院した記憶があります。
その中でも心臓の手術は大変で、手術は成功したものの、定期的に頭痛がするようになりました。
その頭痛を治したいと思い、のちに治療の世界に入りました。
学生時代
中学校時代は野球部に入っていました。
ただ部活で先輩に意味もなく殴られるのが嫌で、途中でやめてしまいました。
その後、高校に入ってから友人の紹介で中野の極真空手に所属しました。
当時の中野の道場は先生が全日本チャンピオンだったこともあって、とにかく厳しい練習をしていました。
でも日に日に強くなっていくのが実感できたし、なにより格闘技が好きだったので楽しくてしょうがなかった記憶があります。
貧乏だった専門学校時代
高校卒業後は数年間はアルバイトをいくつかしたりして、22歳の時に蒲田のあんまマッサージの専門学校に入学します。
当時は昼間5時半まで働いて6時から専門学校に行ってたので、とにかく自分の時間がなく充実していました。
学費を稼ぎながら学校に行ってたので、とにかくお金がなかったです。
それでも学校が終わった後、友人と週末になると朝まで飲んでたのは良い思い出です。
バックパッカー時代
専門学校を卒業後、短期間でお金をためて海外でバックパッカーを2年ほどやっていました。
中国からアジア、中東、ヨーロッパと30か国を旅していました。
トルコで睡眠薬強盗に合って殺されそうになったり、タイで突然殴られて裁判になって負けたりと災難にもあいましたが、楽しかったことも数多くあります。
西東京市に治療院を開業
海外から帰国後、数年間は治療院や病院、また訪問マッサージなどで勤めていました。
そしてちょうど30歳の時に東京の西東京市のマンションの1室でお店を開きました。
当時は何の計画性もなく、ただ流れに乗るように開業したんですが、すぐに軌道に乗って1年後にはスタッフを2人雇えるくらいになりました。
それから4年間は田無で頑張っていましたが、どうしてもオーストラリアに留学をしたくなり、そこのお店をスタッフに譲って留学しました。
お電話ありがとうございます、
西東京田無巻き爪矯正センターでございます。